北九州、中国地方の勇・大内氏

今回からは九州の大友氏や中国の尼子家、毛利家でも何度も名前が挙がっている大内氏について少しづつ解説と共に、その逸話をご紹介していきましょう。大内氏は周防国府の介を世襲した在庁官人から守護大名を経て、戦国大名へと成長した家です。周防・長門、石見、豊前、筑前各国の守護職に補任されただけではなく、最盛期には中国地方と北九州の6か国を支配した北九州や中国地方の勇と言うべき家なのです。これだけの家なのに今ではあまりその名を聞かないのは盛者必衰を感じさせますが(大体毛利のせい)

さてまず大内氏の由来から少しご説明をば。

源平藤橘という言葉を聞いた事はありますか?簡単に言いますと、氏の事ですね。

日本の武家はいわゆる源平藤橘や中央の貴族の末裔を称することが多いのです。ですが大内氏は百済の聖王の第3王子である琳聖太子の後裔と称している。琳聖太子が日本に渡り、周防国多々良浜に着岸したことから「多々良」と名乗り、後に大内村に居住したことから大内を名字としたとなっています・・・が、琳聖太子の記録は古代にはなく、大内氏が琳聖太子後裔を名乗るのは14世紀以降とされていますので、大内氏が代々、周防国で周防権介を世襲した在庁官人の出であること以外、実態は不明です。出自や由来については戦国時代だけではなく日本各地で色々言われていますので、ここではあまり深く突っ込まないようにしましょう。


2014年5月18日 北九州、中国地方の勇・大内氏 はコメントを受け付けていません。 新着