今回は名人久太郎こと堀秀政と、彼が新しく家臣を召し抱える時のお話です。戦国時代理想の上司とも思える名人久太郎、彼は新しい家臣を召し抱える際には、こんな事をやっていました。
まず、最初の三十日間は共に朝夕の食事に同行させる。これは相手に主従の親しみを作るようにするためと相手がどのような言い方、振る舞いをする人間であるかをみる為である。
そして次の三十日間は他家への取り次ぎ役などをやらせて、家中の外の事を知らしめさせてからその者の其れについての言行などを観察した。そうして秀政は初めて知行を申しつけたそうである。
だが時として秀政の心にかなわず、仕官の出来なかった者たちも存在する。だが秀政はそのような者達にも金銀や衣服などを与え、その者が他家へ出資が決まればその主の元にくれぐれもその者をお頼み申し上げると言ってよこしたと言われている。このような人柄であったため、多くの人々や家臣が秀政に心服していたという事である。
正に名人久太郎!と手を叩きたくなるような逸話ですね。こんな人柄の秀政だからこそ数多くの人が彼に尽くしていたのでしょう。こんな名人久太郎、もしこの現代にいたら色々な場所で理想の上司!と言われていたかもしれませんね。