名人久太郎・珍しく…

さていい加減長くなってきた名人久太郎シリーズ。今回で一区切りして小牧・長久手の戦いの話を次からは追っていきましょう。ですが名人久太郎こと堀秀政には、意外にもこのような話も残っています。

小牧・長久手の戦いで徳川の奇襲により、大将の羽柴秀次の陣は壊滅。だがその前方に陣取っていた堀秀政はその襲撃を見事に打ち破りました。この時の秀政の働きに対して、こんな批評が残っています。

『堀久太郎(堀秀政の事です)は三河衆の奇襲に打ち勝ち、そのまま進むべき所をその場を他の味方の部隊に任せ自分たちは引き下がった。だがもし勝利した勢いのまま、後続の徳川勢と一戦していれば、たとえ先の交戦の疲弊により自分達の部隊は敗北したとしても、池田勝入、森長可の部隊は無傷の新手として残っていた筈である。なので形勢としても最終的に秀吉軍が勝利する形に持っていけただろう。そうであるのに向かってくる敵を他の味方に譲って戦わずに引き下がった。これは自分の最初の勝利を無にする行為である。つまり堀久太郎には、秀吉公への誠の忠誠心がなかったということではないだろうか。それとも戦に不案内で、あの場に留まる戦術上の利点が解らなかったのだろうか?』

戦名人で有名な堀秀政、名人久太郎への珍しく批判的な批評です。さすがに名人久太郎と言えど、万人に好かれている訳ではなかったのか。それともこれもまた的を得た意見であったのか。

さて、次回より再び戦を追います。

 

 


2014年3月7日 名人久太郎・珍しく… はコメントを受け付けていません。 新着