大内義隆様のご趣味

さて今回は・・・色々と問題になっている実際大問題に発展した大内義隆のその趣味について説明しましょう。

戦国時代では衆道が一般的でした。しかし大内義隆の衆道好みはやや常軌を逸脱していたというか・・・・以下は、義隆と交わった、もしくは交わった疑いのある人物達の羅列です。

陶義清・陶晴賢(兄弟)・毛利隆元・小早川隆景(兄弟)・相良武任・冷泉隆豊・清ノ四郎・安富源内・その他諸々・・・・。 因みに一時期には、山口から陶晴賢の住む富田若山まで(片道35キロ)6時間かけて馬で往復していたとか・・・。

毛利元就の長男・毛利隆元に至っては、本来人質という立場にもかかわらず賓客のような扱いをしたことで(どんだけ気に入られたんだ)、家臣達から不信感を抱かれる原因の一つにもなったようです。しかしその隆元は人質時代に父親の足手まといになると自害しようとした時には陶晴賢が駆け付けたとか言われているからきっと男色好みの容姿だったのでは

因みにこの男色好みにはあのフランシスコ・ザビエルが激怒したほど。ヤバい海外にまで

大寧寺の変の原因も、嘗ての寵童であった陶晴賢もこの頃には寵愛を失っており、相良武任や冷泉隆豊など文治派の美人官僚達が寵愛を獲るようになっていた事に対する不満が爆発したからだとも・・・つまりこの謀反の原因は痴情のもつれ但し男だ

まぁ何にせよ入れ込み過ぎるのは良くないね!という大内さんちのお話でした☆

この話を掲載した事を少し後悔している