季節が勝敗を分けるか

さて両者膠着のような状態が続きますが、10月16日、柴田勝家は堀秀政に覚書を送り、秀吉の清洲会議の誓約違反及び不当な領地再分配、宝寺城の築城を非難しています。ここまでの勝家の勢いを見るともしかしたらこの時点では勝家に状況は有利であったのかもしれません。ですが翌月、状況は一変します。

 

11月、勝家は前田利家・金森長近・不破勝光らを秀吉のもとに派遣し、秀吉との和睦を交渉させました。これは勝家の領地が北陸にあった為に行なった和平交渉です。前回でも勝家は北の上杉軍と領地が近い事を記しましたね。元々勝家自身、信長により上杉の動向を抑える為にこの北の領地を与えられていたのですが、それを勝家は利用した和平交渉です。

これは北陸に領地があるため、冬には雪で行動が制限されることを理由としたみせかけの和平でした。ですが秀吉はこのことを見抜き、逆にこの際に訪れた三将を調略し、更には高山右近、中川清秀、筒井順慶、三好康長らに人質を入れさせ、畿内の城を固めて始めました。この辺りの動きは流石秀吉、人たらしと言われただけはあります。

この後から自体は段々と秀吉に有利に動き始めますが、それはまた別の話でしましょう。さて、柴田は、織田はどうなっていくのか…