将軍夜討ち騒動

さて当時の京は荒れ放題で・・・、という話を書きましたが、ここで当時の京がどうだったかよくわかる話をご紹介しましょう。

永正14年2月4日戌の刻(午後8時前後)、京三条の将軍足利義稙邸に夜討ちがあるとの風聞があり、世上騒動となり、驚き慌てる事もっての外であった。紫宸殿から三条御所の方を見ると、夜討ちを警戒するため三条周辺に掲げられた松明が、まるで晴れた夜空の星のように数多く輝いていた。陣下の衆が少々馳せ参じ、外様番衆(奉公衆)も、将軍家直属であるため三条御所に馳せ参じた等、云々。

しかし夜討ちの事はあくまで風聞であり、実否が解らず騒ぎも収まらなかった所、将軍に従っていた神祗伯の白川雅業が参内してその子細を申し上げるには、唐門役所において盗人の騒ぎがあり、その騒ぎを聞いた者たちが夜討ちだと勘違いしてしまったとの事である。全く奇異の事だと云々。

あとで聞いた所によると、細川京兆(高国)が具足を着たまま各所に礼参したと云々。全く稀代の事である。また、聞く所によると京の児女たちの間では、この日に天魔の祝儀があると言われていたそうだ。さてさて、洛中の騒動はその為だろうか?

二水記より抜粋したのもですが、この時の京の情勢の不安定さを、よく表している事件ですね。ほんの少しの事にも大騒ぎしている事からその様子が窺い知れます。


2014年5月18日 将軍夜討ち騒動 はコメントを受け付けていません。 新着