小牧「長湫」の戦い

さて、柴田勝家を破り主君信長の息子である織田信孝を自害に追い込んだ秀吉。もはや彼の勢いは止まる所を知らないように見えますが、ここで新たな戦が起こります。

それが徳川家康との戦いである小牧・長湫の戦いです。小牧・長久手と書かれる事が多いのですが、正しい表記は長湫の方なのです。せんごくまめちしき。

 

さて、その小牧長湫の戦いがなぜ起こるようになったのか、ここにも賤ヶ岳の戦いの信孝同じく、信長の息子が絡んできます。信長の二男、織田信雄です。信雄は織田家筆頭家老であった柴田勝家の亡き後は、信長の後継者を自負する秀吉に従っていました。ですがやはり信雄も内心では不満を持ち、秀吉の事をよく思っていなかったのかもしれません。もしくは織田家を良いように動かす秀吉への不満が爆発してしまったのでしょうか。

ともあれ信雄は父信長の居城安土城を退去させられ、秀吉に反抗をするようになります。そこで秀吉は信雄の三家老である津川義冬、岡田重孝、浅井長時を取り込もうとしました。ですがこの事は信雄に露見し、三名は処刑され、翌日に信雄は家康と共に出陣します。この為、これは事実上秀吉と家康の戦いとなるのですね。

さてここでこの三家老、実は秀吉とは通じていなかったとの話もあります。流言に惑わされて大事な部下を三名も失っただけでなく、信雄が挙兵した事で秀吉にも信雄と戦う大義名分を与えてしまった、という考えもあるようですね。そう考えると、秀吉もまた信雄の存在が邪魔だったのかもしれません。

さて、次回は信雄に巻き込まれる形になった家康の動きを追っていきましょう。