尼子家の衰退

尼子家の力を盤石化させ、毛利家との戦にも連戦連勝を収めていった尼子晴久。そのままいけば今日もっとその名を色々な所で見かけるようになっていったのかもしれませんが・・・尼子晴久は志半ばで急死します。享年47歳。死因は脳溢血であったと言われています。祖父に「血気にはやる所とカッとなりやすい所がある」と言われていますので、もしかしたらその気性のせいもあったのかもしれませんね。

晴久の急死により、その後は息子の義久が継ぐ事になります。しかし義久は今だ経験が浅い事と、晴久が今だ宗家の権力の集中化が途中であると言うこれまた負の遺産を持ってからのスタートとなります。(父親同じくやっぱり毛利家プロデュースにより義久は無能武将の烙印を押される事になります)

この当時はちょうど国人衆らの不満が爆発してきた時期でもあり、それらを抑える事にも義久は色々と手を討っていましたがそこにやってきたのが

毛利「こんにちわ!」

毛利家です。(やっぱりなんて言わない)

此処に再び毛利家と尼子家の戦いが始まります。これこそが第二次月山富田の城の戦いです。当初はこれに尼子側も良く対抗して城を守っていたので毛利も攻めあぐね、兵糧攻めに切り替えていくのですが・・・この戦いが、尼子家の衰退の始まりとなってしまうのでッス。