尼子家の躍進・・・の前

さて尼子家について軽く触れましょう。尼子氏は宇多源氏佐々木氏の流れを汲む京極氏の分家で、京極尼子家とも呼ばれる家です。そして尼子家は元々は京極氏の出雲守護代を務めていました。が、後に尼子家は正式に守護となります。

さて尼子経久は出雲守護代・出雲守護代・尼子清定の嫡男として生まれます。その幼名は又四郎。この又四郎は戦国の世では結構色々な人が名乗っているので面白いです。(九州の島津家にも幼名・又四郎がいます)

経久は十五の折に、人質として当時出雲・飛騨・隠岐・近江守護を務めていた主君・京極政経の京都屋敷へ送られて、その後五年に渡って京都に滞在する事になります。恐らく一時的な人質のようなものであったと思われます。この時に元服を迎え、主君・京極政経の経の字を賜って経久と名乗る事になります。その後出雲に戻され、四年後に父より家督を相続しました。

しかし家督相続を果たした経久は国人衆との結びつきを強くしたり、主君・京極政経の寺社領を横領し幕府への納税を怠ったりなどした事で公役怠慢と、尼子氏の勢力増大を危惧された事から守護代の職を剥奪されてしまいます。その上経久は幕府より追討令を出されてしまい月山富田城を包囲され、城を追い出されて浪人の身となってしまいました。


2014年5月12日 尼子家の躍進・・・の前 はコメントを受け付けていません。 新着