廻城攻防線における、少し悲しい話1

前回までのお話で廻城攻防線・島津家と肝付家の争いの話を書いてきましたね。今回はその中で亡くなった、島津日新斎の息子であり、島津貴久の弟・島津忠将と尚久のお話です。

次男・忠将は貴久の六つ年下、三男・尚久は貴久より十七歳も年下で、貴久の息子・義久より二つ年上だったそうで。尚久は貴久、忠将と母親が違いますので年齢に差が出ているようです。そんな尚久は兄の子である義久・義弘と日新斎のもとで兄弟同然に育てられておりました。

忠将は薩摩大隅の領内統一戦に於いて、ほぼ全てに参戦し、武功を上げた勇将。兄である貴久を良く補佐し、戦では常に最前線に立ち続け、初期の戦国時代における島津家を支えたのは武略に優れた忠将だったとまで言われています。この貴久と忠将の兄弟関係は、後の義久と義弘の関係にも大きく影響を与えているのです。

さて尚久の方はと言うと、こちらも各地を回って統括などと色々働いておりました。甥達と同じ教育を受けているところ、後の島津四兄弟の関係を見ると、異母弟でも兄達との仲は良かったのでしょう。年を取って出来た子ほど可愛いように、日新斎はこの三男をかなり可愛がって育てていたようです。

ですが運命の戦が来てしまいます。