徳川・池田森激突!

池田恒興、森長可の隊に徳川本体が後方より出現したことが伝わり、緊張が走ります。両将は大慌てで退却を開始するも、家康は堀秀政の隊に敗れた榊原康政の隊を組みこんで陣を構えました。

徳川は右翼に家康3300。左翼に井伊直政3000。そして織田信雄勢3000。

対する池田隊右翼に池田元助・池田輝政4000.左翼に森勢、後方恒興で喘合計9000。

数の上だけで言うと両隊はこの時、ほぼ互角と言っていい状態です。

ですがこの時徳川の陣は高所に陣を構え、斜面に鉄砲隊を三段構えに配置対する池田勢は湿地に陣を構えての戦いと、不利な状態になってしまいました。戦場において重要なのは地の利です。池田隊は完全にその地の利を奪われた状態で徳川勢との戦いを余儀なくされてしまったのです。両隊の激突は死闘をくり返し、一進一退の状況で二時間にも及ぶ時間の戦いとなったと記されています。

所で鉄砲の三段構えと言うと何かを思い出しませんか?そう、織田信長の長篠の戦い、武田騎馬軍への攻撃もまた、鉄砲三段構えでした。因みに元織田家の重鎮である池田家、森家共に鉄砲の名手が多かったとも言われています。そう考えるとこの戦い、何か因縁めいたものを感じてしまいますね。

さてこの戦い、とある人物により一気に戦況が動きます。