毛利家三本の矢の一本1

さて、前回申しました通り北九州の覇権争いの際に毛利家で何が起こっていたかをご説明しましょう。端的に言えば、毛利本家の嫡男である毛利隆元が急死したのです。

ところで毛利隆元とはどれくらい知名度のある武将でしょうか?毛利といえば三本の矢のお話が有名ですが、その三本の矢について詳しく知っている人がどれだけいるのでしょうか?特に毛利隆元という長男は、軍を率いて戦う事に長けた次男吉川元春と、調略をさせれば他に口を出す者がいない三男の小早川隆景、なんかもう色々凄過ぎてゴーイングマイウェイの父親毛利元就に囲まれて影の薄い人物です。

その毛利隆元が亡くなったのは非常に急でした。饗応を受けて後帰ってきてすぐに不快を訴え、すぐなくなったので毒殺だの何だのと噂が立っていますが真偽の所は不明です。この時代では分からなかった事でしょうが、食中毒の可能性もあります。個人的には食物アレルギー的な何かだと思っていますが、それはこの際置いておきましょう。

とにかく、悲しかろうが混乱しようが嫡男を失っても毛利本家は潰れる訳にはいきません。今まで隆元がやっていた事を家族全員で手分けして行うだけです。徴兵、調略、援軍交渉や資金繰りなどが主な仕事でした。

ですが、毛利家が本当に混乱したのはここからでした。