毛利狐、この世を去る

毛利狐とは大友宗麟の手紙の中にある言葉で、毛利元就を差した言葉です。まぁこの「狐」というのは褒め言葉ではなく、狡賢いというニュアンスの狐ですが・・・。

何はともあれ大友家は毛利家を九州から撤退させることに成功、その後は自領内の統治を図ります。そして毛利方は毛利方で大友家に担ぎ出されて攻撃してきた大内輝弘を打ち破ります。そして此処まで数度にわたって北九州へとちょっかいをかけ続けてきた大友家最大の不安分子でありトラウマ確定の毛利家でしたが、これ以後毛利家が北九州にちょっかいをかける事はなくなります。

この翌年、タイトル通り毛利元就が亡くなった事がその最大の要因です。その後は継いだのは、この時19歳だった毛利輝元。毛利元就の孫であり、先だって亡くなった毛利家長男・毛利隆元の息子です。この後輝元は伯父の小早川隆景の補佐と色々な教育をうけながら毛利家を率いていくのですが、それまでの織田家との友好外交を取り消します。

この当時将軍足利義明により織田信長包囲網と呼ばれる反信長戦線が出来上がっていたので、毛利家もこの流れに乗る形になったのですね。その為これ以後毛利家は九州への出兵は無くなり、大友家は安心して九州の統治を進めていく形になったのです。