「自分達が攻めあぐねている時に援軍に来た立花道雪と高橋紹運が大活躍で落とせなかった城をどんどん落としていった。活躍できなくておもしろくないから帰る」
子供か。と言いたくなる状況、この時筑後も大変でしたが、道雪らがいた筑前もまた周囲が敵だらけで忙しく、この時道雪の年は72才・・・無理を重ねてきたのにその仕打ちはないだろう大人になろうぜ・・・
さてこの時の立花・高橋の行動をまとめたものがこちらです。
出陣の命を受け直ちに兵を動員。8月14日に太宰府に集結軍議。
18日:夜半から太宰府から筑後川を渡り耳納山を越え、道中敵地だらけの15里先の黒木領に向かう
19日:夕方黒木領に進入し、猫尾の支城高牟礼城前の山上で雨風激しく陣中を吹き濡らす中、両将は夜を徹して見回り兵を慰労し野営
20日:豊後諸将に到着を通達。内容工作を進める
24日:高牟礼城を内容にて降し、犬尾城主も降し、 そのまま佐賀勢を排除する
28日:城島、大川の部落を焼き払い、また八女黒木に戻り猫尾城攻撃再開
9月5日:黒木家永自刃
8日:陣を西に移して八女山下城を攻撃
11日:山下城、講和を望み降る。そのまま柳川城及び周辺を攻めるも苦戦
10月3日:一度留米高良山に移陣する。途中秋月他高良山より東側甘木辺りまでの敵方の領内を荒らしつつ進むが、柳川方面攻略はほぼ膠着状態になる。仕方ないので高良山から麓平野部で筑後川に面する北野村一帯に布陣。そのまま年を越す
何という戦に次ぐ戦。
そしてその年末の中、宗麟の息子達と若い豊後勢が「活躍しすぎ!つまんない!」と陣を引き払って帰ってしまう。これは嘆かれても仕方がない。(但し一応補足として、秋月勢が本国を狙っていたので撤退したという話もあります)
因みに道雪は翌年、6月初めに陣中で発病し9月11日に陣中でその73歳の生涯を閉じる事になるのでした・・・。