第二次月山富田城の戦い

第二次月山富田城の戦いと呼ばれるこの戦いは、尼子方、毛利方共に幸先の悪いスタートを切りました。尼子方はこの戦で先だってあった家臣団の不満が爆発、国人衆の多くが毛利方に流れていくなどの事が起こりましたが、その一方で毛利方も豊後の大友家が領内を脅かしてくるなどして尼子と大友に挟み撃ちされる形となっていたのです。

包囲戦を行う毛利軍に対し、尼子方も果敢に抵抗を続けます。この時、元就の嫡男隆元は九州の大友方と和議を結ぶ事に成功し、父や弟達の戦う戦場へと駆けつけようとしますが、その途中で急死。隆元の死に元就は嘆き悲しむも、兵達を必死で鼓舞しながら尼子を破るために戦を続けます。しかし尼子方の抵抗もあり、一時的に兵を引きます。

同年、再び毛利軍は月山富田城を包囲して戦を開始。この時、飯梨川を挟んで対峙していた両軍の中で山中幸盛が品川将員を一騎打ちで討ち取ったとされています。しかし、毛利軍はこの戦いでは力攻めを行わずに兵糧攻めを続けたため、やがて城内の兵糧が窮迫、投降者も出始めてましたが、毛利側は城兵の降伏を一切認めず、投降した者は処刑されました。こうすることで、孤立した城内に多くの兵が籠もることになり、補給のない中で城の兵糧を食い尽くさせるという老獪な元就の作戦でした。尼子方は、じわじわと追い詰められていきます。