進むクーデターへの布石

溺愛していた養子・大内晴持が死んでしまった事により、戦嫌いになって政治への関心を薄くしていった大内義隆。しかしこの後実子が生まれるので晴持が生きていたらどうなっていたか

その翌年、1543年に大内軍は再び備後へと進出しましたが、この時の大内軍の戦は今までの大内軍らしからぬ消極的な戦いとなっていたようです。そしてこの後、戦に消極的になったまま、杉原理興を追い落とす1550年までは地味に尼子との小競り合いが続いていきます。

この間、家臣の陶晴賢が義隆に不満を募らせてクーデターの準備を進めていきます。晴賢のクーデターには本当に色々な理由があるようですが、当主である義隆が戦にも政治にも関心を見せず引きこもっていき、重用されていった文治派の相良武任らと武断派の陶晴賢達の対立が激しくなっていった事や、元々酷かった色好みもますます悪化していった上にその事で家中の雰囲気も悪くなっていったなど、色々な要因が重なっていったようです。

その上、陶晴賢のクーデター用意の傍ら、一方で安芸の毛利元就も大内家からの独立計画を練っていました。(この人本当に抜け目ないな)

しかし既に政治への興味を失っていた義隆自身にはこれらの事は知る由もなかったのでした・・・。


2014年5月20日 進むクーデターへの布石 はコメントを受け付けていません。 新着