さて、弟の葬儀の最中に味方の城を攻め落として領地を奪った鬼武蔵こと森長可。彼は本能寺後いきなりこんな事をやらかした訳でもありません。信濃を治めていた彼もまた、信長の死後その信濃を追われて命からがら自領に引き返す事に成功したのです。そんな森長可の本能寺後、信濃での長可のお話。
鬼武蔵こと森長可が信濃から本拠地・美濃に撤退すると言う話を聞いた苗木城主・遠山友忠は親交のある木曽義昌に謀を持ちかけた。その計画は念入りなもので、まず義昌が木曽福島城で暗殺をしかけて、これに失敗したら美濃衆が襲撃するという二段構えのものであった。必ずや鬼武蔵を討ち取るという執念を感じられる。もちろんこの策に東美濃の諸将は大賛成。だが翌日、この計画はいきなり綻びる。
「こんにちわ木曽殿」
鬼武蔵の名は伊達ではない。事前に察知したのか長可により城内へ強引に押し入られたのである。そこに長可の部下が何故か義昌の子を無理やり連れてきた。この子を見て鬼曰くじゃなかった長可曰く、
「なんと利発そうな子でしょうか!今日からこの子を私の養子とさせて頂きましょう!」
連れ去った。あっという間に連れ去った。誘拐犯もびっくりの手並みであった。
この後、義昌は急いで諸将に連絡、鬼武蔵暗殺計画はご破算となった。
この話で唯一いい所は、この時人質にされた息子は無事に親元へ帰されたという点である。(要するに過去返して貰えなかった人質も存在する)
そしてこの後、舞台は東美濃制圧戦へと動いていくのである・・・。